mito246の日記

ひびのきろく

厳格化と不寛容な社会

1990年代のバブル崩壊を境に、「社会の厳格化」と「不寛容な社会化」が進んでいるような気がする。

厳格化は良い。フェアな社会に向かっていく。昔は許されたアンフェアが是正されてくるから。かなりの誇張と願望が入り交じっていると思うが、植木等の「無責任男」シリーズは、高度成長期をイメージさせる。昔は、体罰やハラスメントなど茶飯事だったとおもう。その感覚から脱却できない人は、今や社会のお抱えとなる。場合によっては犯罪者。

一方気になるのは、不寛容。必要以上にバッシングしたり、貶めたり。これは、いわゆる「かわいさ余って憎さ百倍」。ストーカーの心理にも近いのかもしれない。たちが悪いのは、社会を正す役割が期待されるマスコミが、その不寛容な社会に拍車をかけるべく、悪乗りする。結局、ヘイトや差別を止めるのも助長するのはマスコミの存在は大きい。もう一つ、不寛容な社会を助長する存在が、SNS。当初は、ごく少数のインフルエンサーが、不寛容な社会を助長するのかと思ったら、昨日のNHKの報道だと、政治広告が社会をその政党が都合がよいように扇動する。いわゆるプロパガンダ。これは、広告に対して、一定の規制は必要なんじゃないかと思った。話はそれたが、不寛容な社会は、幣束感をもたらし、つまらない社会になってしまう。

厳格化と寛容さは、相反するように見えるが、そうではないと思う。社会の成熟化には欠かせない要素だと思う。

貧困層優遇と富裕層優遇

貧困層優遇とは、税制の優遇、控除、生活補助、各種サービスを受けられる優遇。

富裕層優遇とは、富裕層への優遇状態、具体的には健康と医療、高性能な製品の機能を享受できる、外商など直接的な優遇、ふるさと納税ボリュームディスカウント累進課税の税率上限など。軽減税率も、金額面では、この層が、一番手元にお金が残る計算になる。

この狭間には、残念ながら優遇はない。

貸したお金

ラジオ番組で、「借金」をテーマにしていた。

そこで、学生時代に友人にお金を貸したことを思い出した。

とても大金だった。今でも大金だ。

さすがに渋っていたが、やむにやまれずお金を貸した。渋っていたのは、きっとお金も返ってこないし、友達としての縁も切れるということを覚悟していたからだったとおもう。案の定、直後に疎遠になり、お金も返ってこなかった。それは覚悟の上だったが、やっぱり後悔している。お金を貸さなかったとしても、友達との縁は切れていただろう。なら、貸すべきでなかったのか?貸さなかった場合、どうなっていたか?今となっては、知る由もない。

ただ、お金は貸すべきではないと思う。お金ではなく、別の方法でサポートすべきだ。たとえ、友達の縁が切れたとしても。


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(考察)緩やかなインフレと円安

緩やかなインフレと120円台の円安ドル高が実現できると、どうなるのか?

インフレが起こり、給与水準も上がれば、可処分所得が増えるかもしれない。もちろん物価も上がるので、リニアに豊かにはならないだろう。国という視点で見ると、税金は増え、1000兆円の借金は目減りする。

さて、円安。輸出産業は、価格競争力が付き、活性化する。一方、輸入製品は、インフレもあいまって、高くなることは間違いない。ただ、国内のモノが売れれば、

結果的に内需が拡大することになる。

ただ、国際社会で、許されるかどうかわからない。

キャリアビジョン

キャリアビジョンを考える。

お金儲けをしたいなら、ブルーオーシャン。その道に自信があるか薄給を受け入れるなら、レッドオーシャンもありだろう。

何はともあれ、5年、10年、20年ぐらいまでは考えておきたい。

20年先は、本当に読めない。話題のAIがシンギュラリティを起こすと、確かにほぼすべての仕事が、ロボット&AIに取って代わるかもしれない。そうなったとき、さて何が残されているのか。

まず、知識集約産業はほぼ置き換わるだろう。コンピュータが一番得意な分野。次に、ある程度の定型作業。すでに、工場で稼働しているロボットの延長業務も、ロボットの得意な範疇といってもよい。そう、人間に残されている領域は、「非定型作業」になる。

この非定型作業は、二極化する。知識が伴わない単純労働か、ロボットを作る側などの高度知識&技術集約労働。前者は、誰しも入りやすいという意味で、レッドオーシャン。後者は、一部の研究者が担うという意味で、ブルーオーシャンになるかもしれない。

いやはや、働く前提に書いているが、そもそも労働は必要なくなる世界がくるかもしれない。シンギュラリティが、いわゆるデジタルスレーブを実現する。それは、人類の退化、終わりの始まりを意味するかもしれない。

 

 

1秒の違い

1秒差で、電車の扉が閉まる(間に合わない)人と、そうでない(間に合う)人。

ほんの少しの差が、結果を大きく変えることがある。

もちろん中にはその違いをも超越する人もいる。でも、それはごく少数。

自分は、間に合う人になるのか、それとも間に合わない人になるのか?それは、自分次第。


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職住近接


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「職住近接」はここ最近の憧れ。

今の通勤時間は片道1時間30分。かれこれ10年以上、通勤片道に1時間20分以上費やしている。その間に、出社時間が午前9時半から午前9時に繰り上がり、通勤ラッシュどピークに。ちなみに最短は40分。その頃もオフピークとはいえなかったが、ちょっと時間を後ろにずらすだけで、満員の度合いはかなり和らぐ。そして、満員電車に揺られる時間も短い。

いろいろな記事を読んでいて、最近「脳疲労」というキーワードが目に留まった。通勤時間が長いと、睡眠時間が削られる。睡眠時間が減ると、「脳疲労」する。そういった意味で、相関関係がある。

ついでに電車内での「ウトウト」も体に悪い。

これまで、「本が読める」だとか、「調べ物ができる」とか、自分を納得させてきたが、だんだんごまかせなくなってきた。1日に往復3時間。1日の8分の一。しかも通勤ラッシュどピーク。読書や調査に、そんな時間はいらない。

職場までの距離は重要。ただ、どうしても職場を選べないときもある。とはいえ、優先度はもっとあげるべきだと思う今日この頃、である。